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2006.03.19 (Sun)

私の成績~大学編~


さてさて、なんとか国立大学現役合格した私ですが、
合格したのは遥か彼方、九州の大学です

いや、行きたい学校はたくさんあったんです。
大学・大学校・専門学校、たくさんありました。
でも私は都会(東京)には住めない…
重症の方向音痴ですから…。
いやそれ以前に学力が足りない…
ホントに成績悪かったから…。
そして、わが家にはお金がない…
貧乏家庭で、私より勉強のできない妹がいる…

高校入学当初は親から「自宅から通える国公立」
って、言われてました…。
北大・樽商・札教・岩教・札医…そんなのムリ

結局受験したのは、本州の端っこの大学校、
そして、結果的に合格した九州の大学。

ホントは高3の9月までは就職するつもりでいました。
でも、就職の保険として大学を考えていたのに、
高校の就職担当が「内定したら断っちゃダメ」って
それに、なんか納得いかなくて、結局進学を選択したんです。

だから、私の大学受験の勉強は高3の秋から
大学を調べるのも、大学に直接電話したりした
おたる水族館で働きたくて、求人がないか、
直接電話したりしてました。
決めたら行動力のある私です

結局大学校は落ちて、九州の大学に行かざるを得なくなりました。

『大学生活』は本当に激動の生活だったので、
ここでは、大学の成績だけ…


まずは、英語
本当にわかりませんでした…。
大学ではテストで60点以上で単位をもらえるんだけど、
5つあったうちの3つが60点…。
しかも、もちろんカンニングもした。

カンニングも、堂々とノートを開いたり、
ノートを縮小コピーして持っていったり、机に書いたり、
更にはスカートの中にカンペを隠すこともした
大学の先生なんてほとんど男だもん、注意できないゎ

幸いなことに外国語は英語だけで大丈夫な学科でした

楽しかった授業は生物関係でマウスの解剖
生きてるマウスを2人で1匹ずつ配られて、解剖すんの。
当然殺さなきゃならないんだけど、マウスも必死で、
逃げられたり、噛まれたりしてたひともいたゎ
私は解剖大スキ
さすがに、殺すのはちょっと抵抗あったけど、仕方ない。
ぎゃーぎゃー言ってた、周りも殺してしまえば大丈夫らしい。

私は、解剖早いです。そして、きっと上手いです。
周りよりもかなりのハイペースでさばいていきます。
しかし…スケッチが遅いしとても下手
結局、周りと同じ時間に終わってしまうのです…

1・2年でかなりの単位を修得したので、
3年で卒業単位をほぼ修得

3年の後期には講座に振り分けられ、希望通りの講座へ
希望っても「先生が優しい」という噂で希望しました
確かにラクだったゎ~

卒論では、VBやフォトショ、パワーポイントを使い、頑張りました
結果的に工学系の卒論になりました。

卒論発表会は10分の発表、5分の質疑応答。
もちろん発表の練習も何度もしました。
そして本番では、なんと10分ぴったりで終了
周りも驚きでしたよ~

しかし、私の卒論の結論は実地調査が更に必要…
そこを、学部で1番恐れられている教授に指摘され、
司会の教授が「今後継続して研究してください」と、
おそらく司会の教授はフォローしてくれたつもり。
ところが私は「まぁ、機会があれば」
はい、教室内騒然~

そんなこんなで、私の質疑応答の時間は終わったのですが、
私を担当していた教授は、先の教授に怒られていたらしい
まぁ、それでもちゃんと卒業できましたよ。

教育実習も行ったので「高校理科」「高校水産」の、
教員免許も持っています

激動の大学生活は、今後またの機会に…
警察にお世話になったり、大変だったんですよ~
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2006.03.19 (Sun)

私の成績~小中高編~


小中は、私かなりの優等生でした
先生に頼まれて学級委員長をしたり、
学年1位の成績だったこともあります。
まぁ、低レベルな学校でしたから。

しかし、体育だけはどうしても、何やってもできない
小学生の頃、授業が急に体育に変わって皆が喜んでるのを見て、
勉強できないから喜んでるんだ…バカだな
って、勝手に思ってました

中学生になってもやっぱり体育はできませんでした。
私は自分自身があまりにも運動できないもんだから、
体育系の部活をやってるヒトを見ては、
このヒトたちみんなプロになるんだ…
って、思い込んでいました

高校で陸上部のマネージャーになって、初めて
あ…違うのかも…とわかりました

高校は「進学校」と呼ばれる高校に、無事合格
合格した時は400人中、80~90番の成績で合格しました
しかし、高校以降私が優等生になることはほとんどありませんでした。

高校でもとんでもない成績を残しました…


高校の頃、朝にある「英単」「古単」、
事前にテスト範囲は発表されていたけど、
やる気ないし、覚えられないし、成績に反映されないし
と、思って0点連発してたら、呼び出し喰らった
定期テストでも、呼び出し、再試は必ずだった

高校入学後、初めての講習の時、
私はどうしてもオリンピックのサッカーが見たかった
で、無断欠席した(夏休み中の夏期講習)。
したっけ、次の日、学年主任に呼び出しを喰らい、
「いや、体調悪くて…」
「お前の親はそういう連絡をしてくれない親なのか」
「はぁ、まぁ…」
「お前の家はそういう家庭なのか」
とか、うだうだ言われつつも、当時
「講習を無断欠席したら、講習は永久追放」という噂があったので、
私は内心わ~い!これで講習受けなくてイイと思ってたら、
「明日からしっかり来い」って…

なんとか解放してもらった後、早速担任に
「私、もう午前中の講習辞めますから」
学年主任に比べれば、担任なんてチョロイもんです

その後も、200点満点の数学実力テストで6点を叩き出し、
2年の時は、担任を言いくるめてバイト許可を出させ、
更には学級崩壊で、年度中に担任が変わった
まぁ「開校以来の問題クラス」と言われたりしてたのに、
あの担任じゃダメでしょ。完全に学校側のミスだね。
新しい担任は、予想通り体育教師でした。

理科の時間はスペシャルシートと呼ばれる、
先生の真正面、周りは成績のイイひとたちに囲まれた、
そんな席にずっといました。

理系なので、数Ⅲ・Cを選択したら、女子が私1人だった。
そんなことは全く気にもなりませんでしたが、
授業についていけるはずもないので、ひたすら自習。

さすがに3年生になる頃には、ヤバイと思い始め、
講習を受けてそれなりに勉強しました
おそらく400人中350位以下だったと思われた私が、
高校の勉強・講習だけで国立大学現役合格

いやぁ~、誰も受かると思ってなかったと思うよ
私も親も友達も先生も、絶対落ちると思ってたはず。
二次試験の数学なんて、3割も書いてないもん
理科も、問題文の意味がわからなかったし

しかし、私、大学の成績も更にやらかしました…

~大学編~もそのうち書きますよ

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